わたしが愛したバンド、pegmapについての思い出と彼らへの感謝

邦楽ロックが好きです。秋りんごです。

高校〜大学にかけて大好きだったバンドがありました。

タイトルにも書いてある「pegmap」のことがものすごく好きでした。

ニコニコ動画で「つめたいほし」を聞いて、感情むき出しの、不器用な音楽の虜になりました。

少しでも彼らの音楽活動に貢献できれば、と思いCDを買ったり掲示板に書き込んだりしていました。

彼らの音楽は、人間の持っているぐちゃぐちゃで、どろどろの感情を聞いている人にぶつけてくる。でも、そのどろどろの感情を否定するわけでもなく、肯定するわけでもない。どんっとぶつかってきたあとに、そのまま寄り添ってくれるような、そんな音楽でした。

2013/6/23 彼らは解散しました。

田舎の大学生だったわたしは、解散ライブにすら参加できませんでした。

解散後も社会人になって月の残業時間が80時間超えてた時とか、深夜に家に帰ってヘッドホン付けて爆音で「渦」を聞いてたりしてました。
「ガラス戸を蹴り破ったって 満たないから手を伸ばしたって
無駄さ 届かないぜ
空になった体中を ガラス片で切り刻んだ 探し物はここにあった
だけどそっとバイバイ」

とにかく音楽がかっこよくて、死ぬほど疲れている時とか何度リピートしても飽きないです。

わたしがハマったきっかけになった「つめたいほし」という曲があります。

「明日になったって何も変わらないさ
見えなくなっちゃうよ。壊さないで。
未来を捨てきれないから いかないで 消さないで
もう消えちまった」

このままじゃいけない、変わらないといけないと思う焦燥感。

変われないと思いこんでるからふてくされて、変わることへ恐怖を覚えて。

現状のままじゃ良くないことぐらいわかってる、でも変わることは恐怖だから変わろうとする周りが悪に見えてくる。

”現状のまま奇跡的に何とかなる未来が来るかもしれないのに!”とか馬鹿なことを考えて、手遅れになってからようやく気づく。

誰にでもある、そういう経験を叫び声混じりに歌いきるところがとにかくかっこよくて素敵でした。わたしの代わりに叫んで、歌ってくれているような気がして。

“共感”に似た感情がそこにはありました。

「こういう思いをしているのはわたしだけじゃない」そう思うだけで救われました。

なんかこの曲聞くと未だに泣きそうになるんですよね。

社会人になって何度目かの冬。なんとなくpegmapで検索したら当時のpegmapの公式ブログが書かれていました。直近にボーカルの人によって更新されていました。

2015/9/1

ボーカルの人が書いた最後の日記には、「上司は部下を守り、伸ばすこと、そして部下は上司を信じてついていくこと」について書かれていました。

わたしをあんなに虜にした彼らが、今は普通に、わたしと同じような社会人として生きているなんて。(バンドマンってアウトローなイメージでした)
「上司」がいて、わたしと同じように「部下」として上司をサポートする立場にあるなんて、と不思議な気持ちで何度かその日記を読んでいました。

今日検索したら、この日記はもう見られなくなっていました。

わたしは、ようやく彼らが本当に解散してしまったんだ、という事実を受け入れられた気がしました。youtubeとかニコニコにはあがっているけれど、いつかはそれも消えてしまうのかなと思ったり。

わたしは、彼らの不器用な音楽が大好きでした。

これからも、不器用な彼らの音楽を愛し続けていきます。

あなたがわたしたちの幸せを祈ってくれたように、わたしもあなたが今後社会人として成功して、誰よりも幸せになることを祈っています。

まだCDも売ってます。売上がご本人たちの懐に入るかどうかはわからないですが(解散後のCDの売上ってどういう扱いになるんだろうね・・・?)

そんな感じのちょっぴりセンチメンタルな日記でした。

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